<SUPPORT>

Copyright 2012 「溶ける魚 -つづきの現実」実行委員会

 

掲載記事・写真など、全てのコンテンツの無断複写・転載を禁じます

 

■コメント

今展に参加する10名+1組の作家に「シュルレアリスム」に対するコメントを寄せて頂きました。今展は現代美術のグループ展でもありますが、「シュルレアリスム」に焦点を合わせた展覧会でもあります。しかし、今展には日頃シュルレアリスムを意識して制作に取り組んでいる作家も、またシュルレアリスム的な作品を制作している作家も今展には含まれていません。会場に展示される作品と同様に、作家からのコメントも展覧会に対する様々な考察の糸口とするものとなればと思います。ゆるやかなコンセプトの傘の下で各論として独立して見て頂けても面白いかと思います。そして「つづきの現実」という漠然とした言葉がより展覧会の魅力として浮かび上がれば幸いです。

 

 

 そもそも現実とは何なのか。 

 

 すぐ隣の人は全く違う景色を見ているかもしれないというのに、同じ世界に時間にいて、同じ時に目の前の物を見ている。同じ物でも全く違う捉え方をすれば、違う物として認識するのでは? 人によって違う現実があって、どのように現実を捉えるのか。また捉えた現実から何を掴んで発信し何を解放するのか。一種の現実とは精神的なものをいうのかもしれない。

 世界をどう感じるかは、人の価値観による。どのように認識しているのか、どのように価値を見出すのか、を最近は考えて制作している。ちょうどこのような事を考えている時に、シュルレアリスムを意識した本展覧会に参加するのは良い機会であり、面白い発見が出来るのではないかと期待している。

 シュルレアリスムとは、現実において人が新しい価値を見いだそうとする行いの手段のように思える。

 

荒木由香里

 

 

 「シュルレアリスム」という芸術運動を歴史のなかの芸術と受け止めていた。現実という言葉をキーワードに歴史的な時間を越え、シュルレアリスム運動の活動期と現在の社会背景を部分的に比較することができる。例えば、第一次世界大戦時における非日常的な殺戮を経験したときの心情と東日本大震災や原発問題などの不条理な出来事により、社会や私達の精神に与えた鬱屈とした気持ちは、もしかすると時代や国を越えて、共感できる点があるようにみえる。このような時代背景の符合する点を改めて理解することで、いっけん、空想的、夢物語的にみえていた「シュルレアリスム」と呼ばれる作品の見え方が変わる。先人による豊かなイメージや思考を求める姿は現在における社会状況のなかでも、有効的な表現として捉え直すことができるかもしれない。

 もともと西洋で起こった芸術運動でダダイズムからシュルレアリスムという歴史の繋がりがあり、日本には外来の文化として紹介されているといえる。ここで本流となるヨーロッパでのシュルレアリスムと日本のシュルレアリスムとではねじれがあるのかもしれない。しかし、日本の社寺でみる枯山水や三門のなかにある極楽浄土などの死生観にはシュルレアリスム的といえるような部分がある気がする。枯山水や極楽浄土の世界観はシュルレアリスムの世界にある「意味からの解放」と「地続きに繋がる現実」としての超現実的な空間にみえなくもないと思う。それを考えると東洋の日本の精神文化と近接する部分があるのではと思う。

 

 以前に自身の作品の感想として記憶の走馬灯のように見えるという感想をもらったことがある。日常の風景の断片を無数に描くことで表出する世界観はもしかすると日本人的な死生観と、シュルレアリスムのもつ世界観と近接する部分があるのかもと思えなくもない。また、意識はしていなかったが近代洋画家の北脇昇の戦後の第一歩をいかに歩むべきかを問いかける隠喩的な作品「クォ・ヴァディス」を思いだすという感想を頂いたこともある。自身の作品でも直喩的に作品の世界を説明はしていない。描くモチーフとモチーフを相対的に並べ、隠喩的に表現をする所に日本のシュルレアリストでもある北脇昇の作品と自身の作品が、歴史を越えて共感する部分を興味深く思っている。

 シュルレアリスムは西洋で産声をあげ、日本にも飛び火してきた芸術運動でもある。さまざまな形に変容し全貌を掴むのは容易ではない。私達に直接的な影響があるのかは、常に更新をする時間と価値観の多様化、時代も移り変わり、政治、社会背景から影響の影も薄まりつつも「シュール」という言葉は生きている。捉えどころが難しく「分からないもの」と位置づけることもできるが、過去と現在は断絶することなく地続きに継続している訳だから、歴史に背を向けるのではなく知的好奇心をもって「向き合う」ことは意義深いことだと思う。それは、けっして前近代の表現を模倣しようとしているわけではない。より自身の表現を考察することに繋がり、私達の文化背景を知る機会になればと思っている。

 

衣川泰典

 

 

 "「人間」が、「人間」らしく、主体的に、自然を、世界をコントロールし、進歩し続けるのだ" という「進歩的歴史観」の上に文明を積み上げ、近代思想を築き上げたヨーロッパ。そのヨーロッパが「人間」主体のパースペクティブに疲弊した最初の大戦の後に出てきたもののひとつとして、私たちは<シュルレアリスム>を捉えている。

 

 一方、東洋のひとびとは、「人間」主体のパースペクティブは持たずについ最近まで暮らして来た。この列島も地震や津波、台風に曝され、元来、自然は畏怖の対象ではあっても闘う対象やコントロールする対象ではなかった。自然の中に住まわせてもらっている、すなわち「人間」主体の意志や想定などとは無関係の「どうしようもないこと」の中で生きているという実感が前提であった筈だ。そこには徹底した客体の中にひとの営みをあぶり出そうとした、初期の<シュルレアリスム>が目指そうとした視座が丸ごと見て取れはしないか。そして、人類が壮年期を迎えたとの実感の強い今、この視座は捨てたものではないとの思いは強い。

 

 この度、木村了子と安喜万佐子はコラボレーションワークとして、巻物と屏風に取り組む事にした。

 木村は<日本画>で<人物>を主体として扱い、安喜は<西洋画>で<風景>を主体として扱って来た。入れ子のような真逆さを持つ二人の仕事は、その真逆さ故に何かがどこかで繋がっているような、不思議な感覚を与える。個々の作品が完結されたひとつの現実の産物であるならば、そのふたつの現実が表と裏でメビウスの輪のようにひとつに繋がってゆく。そんなイメージで互いの「真逆」さに内在するもう一つの現実を、世界を、自由に行き来し探る それは偶然にも本展のテーマ、<シュルレアリスム>の「主観的な惰性や約束事が剥がれた時に遭遇する<超現実>」といった意味合いと重なるものがあった。

 

 近代ヨーロッパの一側面が生み落とした<シュルレアリスム>を、東洋的な視座でもって検証しつつ、本作では陸と海の境界線に宿る民話や前近代の日本絵画に耳を傾け、「浦島」の伝説や狩野山雪の「雪汀水禽図」などを引用しながら、コラボレーションワークとして世界の逆転・交錯を試みた。入れ子になったふたつの世界に潜むカオティックな風景と、その中のひとの営みの物語をユーモラスかつ美しく、ひとつに浮かび上がらせることができれば幸いである。

 

木村了子+安喜万佐子

 

 

溶ける魚と落鳥の森について

 

 シュルレアリスムと一口で言っても文学からファッションに至るまでその表現が様々に広がっていったために、シュルレアリスムとは何かを捉える事は難しく感じるかも知れない。しかし、フランス文学者アンドレ・ブルトンが「溶ける魚」を執筆しシュルレアリスムを宣言した時、その表現はもっとシンプルだった。意識の奥に潜んだ無意識から引き出された言葉たちによる純粋に美しい文学作品が溶ける魚である。

 無意識を手に入れるためフロイトの精神分析や夢解釈に傾倒した、ブルトン自身も精神科の医学生でもあった。インターンとして精神疾患者と接する中で患者の口から出る脈絡のない言葉の美しさにブルトンは恐怖しながらも魅せられ、溶ける魚に用いた自動記述を思いつく。

 もう一方で第一次世界大戦という時代背景が関係している。2000万人近い犠牲者を出した悲惨なこの戦争の原因のひとつは文明の近代化にある。デカルトがかつて「我々は主人かつ所有者になることができる」と記したように文明人を自覚する人々は自らの利益という理性を掲げ他国をも侵略した。膨大な犠牲者を出した戦争へ導いた政府、近代社会に憤りを感じたブルトンは近代化以前の自然、神秘などの非理性を見直した。懐古主義ではなく理性と非理性との共存を模索した。その考察の過程が意識と無意識を地続きとして描いた溶ける魚の表現世界にも影響していると考えられる。

 

 現在の日本の社会も溶ける魚の時代背景に近いように感じる。3.11東日本大震災による福島第一原発事故はまさに近代文明以降の理性が引き起こした。暮らしの豊かさのために危険な原発を造り出した文明に私も抵抗を覚える。

 

 20年近く前にパプア・ニューギニアを旅した時、精霊を信仰し、自然の恵みに生かされている人々と接し、人間も自然の一部である事を強く再確認した。その原始の暮らしの中へも文明が流れ込み、人々の暮らしが変わっていく様を目の当たりにしてから、私は自然と人間の関係を意識しながら作品を作ってきた。

 3.11の震災が起きて暫く制作が出来なかった。原発事故が自然を汚染し続ける現実に対して全く無力である自分は何を作るべきか分からなくなっていた。

 夏を迎えようとしていたある朝、家の前の道路に鮮やかな青いカワセミが落ちて死んでいた。その時、頭の中にこの鳥を帰すべき原始の森のイメージが立ち現れ、それを夢中で描いたのが落鳥の森という絵だ。まるで天からの啓示のような美しい鳥が何処からやって来たのか不思議にも思うが、私も原始の森の中に出来た街に住んでいることをこの鳥が思い出させてくれた。無意識が意識の一部であるように、人間も自然の一部なのだから、共に暮らしていけると私は信じたい。

 

高木智広

 

 

 現在の私の絵画制作は、シュルレアリスムで言うところの「オートマティスム」の要素を利用して進行しています。

 例えば「塗りたての絵具の上にラップを一晩巻く」などは、エルンストのデカルコマニーのような効果の得られる手法として、あるいは本展の出品作品のように、流動性のある絵の具を滴したマーブリングのような手法は、偶然によってあらわれる現象を風景の中に出現させるものとして用いています。とりわけこのマーブリングによる絵画制作は、「風景としての虹」あるいは「(オブジェとしての)ありのままの絵具」という、リアルと虚構の関係性を相対的に入れ替えながら、その狭間に「虹のようなもの」という「真実味」の世界を出現させられるのではと考えています。

 今日においてオートマティスムをもちいた表現は特に新しい事ではないのかもしれません。また自分の絵画制作とシュルレアリスムにどれほどの繋がりがあるのかも定かではありません。しかし、そのシュルレアリスムの絵画と私の絵画には「偶然 / オブジェ / 共通の場所」という類似点があることは確かです。

 

中屋敷智生

 

 

 脈絡の無いもののイメージ同士を組み合わせることで、それらに付随する意味や価値、物語性などを曖昧にするという作業を行っています。

 今展覧会のキーワードとなる「シュルレアリスム」で用いられるオートマティスム(自動筆記)やコラージュといった方法論も私が作品を作るにあたって多々重なる部分もあります。作品に意味を持たせない、あるいは作品の無意味さを継続させるための方法の一つとして、これらの技法が活躍します。

 人は何かものを見た時に必ず、自分の今までの経験や知識と結びつけて、その存在を理解しようとそのものが何であるか判断したり、納得しようとします。しかし私たちの日常の中で稀に過去の経験や知識が通用しないもの、又は場面と遭遇することがあります。時にその存在(状況)は不条理であったり、人に不快感を与える事もあるでしょう。私はこのように前後の文脈を超え意味を失っても尚、形として存在し続けるものに心を揺さぶられます。

 

花岡伸宏


 

 自身の映像について、シュルレアリスムの直接的な影響下にないと考えています。しかし、チェコのシュルレアリストのヤン・シュヴァンクマイエルの短編映画をみたことが、映像を制作するきっかけとなったことのひとつでした。大学の図書館でビデオテープで「闇・光・闇」をみたのですが、思考や身体がざわついた感覚はありありと覚えています。映像から現実の上にある世界を感じとり、形成され融解する存在に触覚を刺激されました。 

 本展覧会とそれぞれの作家の作品を通してシュルレアリスムに考えるきっかけになればいいな、と考えています。シュルレアリスムと近接するところや、遠くはなれているところが浮き彫りになるのではないでしょうか。

 シュルレアリスムと溶ける魚と現実の上。そしてヤン・シュヴァンクマイエルと向き合い、考察し、豊かな時間を過ごしたいです。

 

林勇気

 

 

1. 何故今シュルレアリスムを意識しなくてはならないのか。モダンアートの一時代として記憶され、現在「シュール」と名を変えて日常会話のボキャブラリーに回収されたものではある。けれど今、シュルレアリスムが問題とした無意識の領域は当時とは比較にならない程増大しており、その度合いは諸々の犯罪の動機、災害への対応、戦争の名目に看て取る事が出来る。そもそもシュルレアリスム運動の目的の一つが無意識領域からの現実の変革であるとするならば、それが既に残念な形で達成された世界に私たちは生きている。今シュルレアリスムを意識するということは、復古や回帰ではなく、ましてや絵面のトレースでもなく、こうしたシュルレアリスムを追い越してしまった現在からその過去のムーブメントを振り返り、その当時に形成されながらも認識されなかった側面を発見する事であるのかもしれない。たとえば、太古より細菌として存在していたが近代化等期せずして環境条件が揃った時、はじめてヒトに対して猛威を揮い始めるレトロウイルスのようなものとして。

 

2. 元来単一のものである幅の広いグラデーションを持つ意識領域が、意識と無意識という二項対立に分離されたことはさして以前のことではない。その元来のものからナイーブな性格が色濃い領域を切り取り、無意識と云う得体の知れない不確かかつ大雑把な呼び名とすることで、以前まではそれと地域ごとに結びついていた歴史や事物から切断し、国単位で集合化させ、簡素ないくつかの矢印を用いて何がしかの目的の為に収束させる事が可能になった。その最初の具体例が第二次世界大戦だったとはいえないだろうか。だとすればシュルレアリストが啓蒙するまでもなく当時の世界は既に十分すぎる程、無意識が解放されていたのかもしれない。むしろその解放のべクトルが向かう先に対しての危機意識の顕われこそがシュルレアリスム運動だったのではないかとも思える。

 

自作について

 鉄で人形を....... 

 乱暴な言い方をすれば、鉄を素材として用いて物品の制作を試みる際、鉄が ヒトの歴史と生活環境に対して現在今ある状態となるよう働きかけてきたものと同じものが、その制作する個人の意識にも働きかける。そして人形と云う物を制作しようとする場合、自ずとそのルーツである呪物、神像等が機能し得た過去へと制作者の意識は、部分的にではあるかもしれないが、遡る。 「鉄の時代」の台頭と入れ替りに後退していったのが、「人形」が共同体の中 で機能し得た世界であるから、この制作はヒトの歴史の正方向と逆方向、双方のベクトルに引き裂かれており、なおかつそれを構成する素材とモチーフである「鉄」と「人形」という、お互いにとってそれぞれの背後にある言語イメージからはかけ離れた対極的な要素を持つ、マッチョな鍛造労働に拠るやわらかな内向的愛玩物の製造作業でもある。 

 だがその奇怪な条件下で制作された「鉄の人形」が、「鉄」+「人形」という要素の組み合わせの呈示を超え、ある質を持った存在として自立出来るのであれば、それはまぎれもなくシュルレアリスムに於ける転置、しかも現実空間の中で物質によって実現されるデペイズマンとも云えるものなのだ。 

City_net Asia 2007  (ソウル市立美術館カタログ収録 作家ステイトメント

 

藤井健仁 

 

 

「シュルレアリスムは、1.嫌い 2.解らない、が与えられたとせよ、あるいは、シュルレアリスムについて私が知っている二、三の事柄」

 

 シュルレアリスム絵画を初めて知ったのは、高校生のころだった。デルヴォー、マグリット、ダリの作品に、はじめは驚き、おもしろく感じていた。しばらくして、だんだんといいと思わないようになっていった。一瞬驚き、わかりやすいおもしろさは、減退していき、嫌ったらしい気持ち悪さを感じるようになった。

 わかりやすいおもしろさというものには危険がともなう。デザイン、広告などに消費されるようになっていき、大衆性を得ることによって、そこにとどまるということになってしまう。

 学生の頃、シミュレーショニズムを新しい動向として知り、影響を受けてきた。20年以上を経て、今さらシミュレーショニズムの影響が作品に出てくるのは、古いことではないかと考えた。シミュレーショニズムも、ポップアート、オプアートなどと同様、今となっては、ファイン・アートだけでなく、デザイン、広告などに取り入れられ、消費され、当たり前の感覚、一つの手法として使われている。一つの手法として定着したもので、他の手法と並列なものと考えればいいのだろうと思った。シュルレアリスムについても同様である。

 気持ち悪い、と一言で言っても広い意味がある。ここでいう気持ち悪いは、作家の欲望が直接に出ていることに閉口するというような感覚である。

 例えばモリニエの写真、コラージュ作品は、好きだ。ところが、モリニエの絵画になると、気持ち悪くて見ていられない。首のあたりがイガイガするような心持ちがする。ベルメールの人形写真は素晴らしいと思うが、ドローイングは気持ち悪い。

 表現するときに、ワンクッション、何かを介在させると、その気持ち悪さは解消されるのではないかと思う。描くという行為により、支持体に直接、表されるより、オブジェを作り、写真に撮るというのが、それにあたる。棟方志功の板画と肉筆画にも言える。

 澁澤龍彦経由幻想絵画、関節人形、はてはSMサブカルチャー趣味というのが、その袋小路に入ってしまったものとして気持ち悪い。しかし、これは人形であり、写真であったりするので、必ずしもワンクッション置いたものによって、気持ち悪さが解消されるというものでもないようだ。

 日本画制作をやめて、関節人形の制作を経て、彫刻作品を作りはじめたとき、自分の作品が、気持ち悪い閉塞したものになってしまうのではないかと危惧した。自分で言うしかないが、作品にユーモアがあったり、違った要素が入っていったりしたので、その方向に行かなかったと安堵した。しかし、他人から見たら、同じようなカテゴリーで気持ち悪く見られているということもあり得る。

 私がシュルレアリスムを最も体現していると考える美術家は、ジャクソン・ポロックだ。実際、ポロックはシュルレアリスムの影響を受けた絵画を描いている。シュルレアリスムの手法の一つ、自動書記を絵画において成し得たのが、ポロックのドリッピングだと考える。

 とは言え、ポロックのドリッピングは画面の四角を意識し、構図を考えながら、描かれたものだろう。ブルトンの自動書記の文章は、フランス語の文法を無視したものにはならなかったということだ。さらに、自動書記で書いた文章を推敲したという。完全な自動書記というのは、美術においても、文学においても、できるのだろうか。

 

松山賢

 

 

 まず、シュルレアリスムについて自分は何も解ってはいない。

 

 シュルレアリスムについて一般の人が抱いている印象、言葉のイメージとしてはブラックジョークの一種、いわゆる「シュール」と大差無い付き合い方をしている。また、芸術運動としてのシュルレアリスムも多少知識として知ってはいるものの、自分の制作において関わる事はまず無い題材であると考えていた。

 何故自身の制作において全く関わりが無いと言い切れるかというと、シュルレアリスムの根源にある「無意識」「偶然」この2つの要素を制作過程において徹底的に排除した制作方法で制作しているからで、「超現実主義」の「超現実」はいわゆるスーパーリアリティでは無く、現実=リアルの度合いをさらに濃くしていくと言った意味合いである。

 

 ただし、自分の作品にて多々モチーフとして使用している「昆虫」にはシュルレアリスムを感じることはある。

 ルーマニアの画家ヴィクトル・プロネールの「光る地虫」。おそらくこの地虫とはコフキコガネの幼虫の事なのだが、この絵ではよくわからない生物の象徴のように描かれている。

 また、フランツ・カフカの「変身」でも主人公ザムザの変身するイモムシは忌み嫌われる有害な何かの象徴として描いており、サルバドール・ダリも昆虫を太古回帰の象徴として、アリは生命の破壊に対して抱く恐怖心、子供の頃の経験から彼の提唱する偏執狂的批判的精神を具現化したもののイメージとして様々な作品に登場している。

 それは私たち人間とは全く異なった進化を遂げた硬い鎧をまとった六本足の生物に対する畏怖から来るものかもしれないが、とても身近な生き物なはずの昆虫に対し皆少なからず違和感を持っているはずで、その違和感が不気味な何かの象徴のように昆虫と言うものの中に存在している。

 

満田晴穂

 

 

 私は、人は繊細に調整された感性をもって世界に対応して生きていると考えています。

 本来、感性は世界の変化に柔軟に順応し、生き抜く助けを与えるもののはずですが、複雑な社会で暮らす人びとにはそう上手に働いてくれません。感性は、確かなものとして自覚することが難しいものですから、意識的に管理することも容易ではないでしょう。

 世界は移り変わって行きます。そして不幸や恐怖で、あるいは敗北感により、心閉ざした人びとを非情に冷徹に飲み込んでいくでしょう。目の前の現実をみるだけでは生きぬくには足りません。その現実は一つの可能性でしかないからです。その現実の先に、あるいは他に無限の現実が存在するはずです。

 シュルレアリスムは、現代の私達に、世界を時代を現実を疑うことのできる眼差しを残してくれました。そして歴史の向こうから、シュルレアリスム、彼らのつよい熱が我々を応援しているように感じられるのです。閉じこもるなと、進めと。

 今展をとおして私が鑑賞者が、今の世界で定めた感性に、ほんの少し、たったひと目盛りでも遊びを与えることができたなら、きっと眼前にまた違うそれぞれの現実を発見するに違いありません。たとえ発見された現実がより厳しいものだったとしても、同時に自身の内側に見つけてしまう得体しれぬ強さに励まされ進んでいけるはずです。

 

麥生田兵吾